無罪と無実
去年、神戸市内の公園で見知らぬ男性2人を殴るなどしてひどい怪我を負わせた人に、無罪判決が出た。「犯行時は熱中症による錯乱状態で、責任能力がなかった」というのが、無罪になった理由のようだけれども、2人の男性が殴られて怪我をしたのは事実なので、「無罪」になったからと言って「無実(事実がなかった)」なわけではない。
逆に、裁判で「有罪」になったからと言って、必ずしも「事実があった」とは限らない。それでも、いったん「有罪」判決がくだってしまえば、どんなに「無実」を叫んでも、世間の人は「罪びと」として見るだろう。
起訴=有罪=事実があった と思われがちだけれども、起訴されただけでは罪があることにはならないし、ましてやそれが「事実があった」ということにはならない。それでも、起訴されただけで、すぐに罪人になったような気になってしまうのは、日本では裁判の有罪率が99%だかららしい。
起訴されただけでも、イメージダウンは避けられないし、裁判のために費やされる時間も心労も相当なものだと思うけれども、裁判で出る判決が「有罪」と「無罪」では、その後の人生が大きく変わる。
「無罪」判決であってくれればいい…と、ソウルに向かって願う。
判決が出るまでの間に、「事実」が「あった」のか「なかった」のかと追及されて、「事情」やその時の「気持ち」を述べる言葉をバッサリとそぎ落とされて、たくさんくやしい思いをするのだろうし、もしかしてこれまでの間の事情聴取で、すでにそういう思いをしているのかもしれない。
なるべく、そういうつらい思いをしないですみますように、と願う。
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