話せばわかる!?
秋場所14日目の黒海と臥牙丸の取組。
黒海が「猫だまし」(←らしきもの?)をしたけれども、臥牙丸には通じず、一気に寄り切られ…。
そもそも、臥牙丸は「猫だまし」なる技すら知らなかったとか。
ふと、「話せばわかる。話しあおう!」と両手を挙げて「降参」ポーズをしているにもかかわらず、バッサリと斬られた人のことを思い出した。
どこで見た映像か、もう思いだせない。時代劇だったと思うのだけれども。
見た時は、「なんてマヌケな!」と思ったけれども、今にして思えば、まあ無理もないことかもしれない。
「話せばわかる」という言葉も、言葉がわからなければ相手に通じないし、両手を挙げていても、共通の認識がなければ、それが「降参」ポーズだということは、相手に伝わらないし。
共通の言語を使っていれば、想いは100%伝わるかと言えば、そんなことはないらしい。
逆に、「言葉」という手段は少々つたなくても、きちんと想いが伝わることもある。
語学学校のクラスで、生徒は全員国籍がバラバラ。先生だけがネイティブ・スピーカーのイギリス人。ある生徒が、ものすごくたどたどしい英語で説明した内容を、生徒は全員理解していたのに、先生だけが全く理解できていなかったことがあったっけ…。
想いが相手に伝われば、そこにどれほどの手間や苦労があっても、報われたような嬉しい気持ちになるし、逆に全く相手に伝わらない時は、肉体的な疲労感に精神的な疲労感が上乗せされて、空しい気持ちになる。
「話せばわかる」というのは、何かしら「共有」するものがある時に成り立つものだと、しみじみ思う。
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