事業仕分け
事業仕分け作業が明日で終わる。
この事業仕分けの対象に、科学技術や教育などの分野が入っていることに、驚いた。
研究や技術などは、今日始めて明日結果が出たり身についたりするような、たやすいものではない。
でも、「仕分け人」と称する人たちは、短時間のうちに、矢継ぎ早に質問を繰り返し、すぐに成果が出せないようなものは、ばっさばっさと切り捨てる。
いわゆる「天下り」の人がいるからと言って、それが「削減」や「見直し」や「廃止」の理由になるだろうか?
「天下り」する人にも、言い分はあるだろう。
「天下り」がいけないというのなら、「天下り」しないとならない中央省庁の雇用の現状を改善して、定年までその省庁で勤め上げられるようにするのが先ではないだろうか?
50歳やそこらで、役所から放り出され、かと言って、蓄積してきた知識や技能のある分野の民間企業に再就職することもかなわずでは、何のために必死で勉強して採用試験を受けるのか、わからなくなる。
効率的な教育とは、一体全体何だろう。
わずかな研究奨励費をたよりに、日々研究にいそしんでいる研究者のタマゴたちの、生きてゆく糧を奪って何になろう?
「採算」はとれないが基本的な事業を、国が行なわずに、誰が行なうというのか。
地道に種をまき水をまいてじっくり育てるような事業に理解のない国家が、今後繁栄するとはとても思えない。
「子ども手当」などと名をつけて、お金をばらまけばよいというものでもない。
さほど困っていない家庭では、現金をもらっても、いつのまにか親のお小遣いに混じって、子どもでも何でもないものに消えていくのがオチだ。
「事業見直し」をするのなら、まず「子ども手当」から見直して欲しい。
行政が、子どもに関することを何かするというのならば、現金をばらまくのではなく、認可保育所を増やし、学童保育を増やし、希望すれば全員が小学校卒業まで子どもを預かってもらえるようにするのが、先ではないだろうか。
| 固定リンク