九合目
今日、約4年間かけて9合目まで登った山を、頂上まで登らずに下りることを決めた。
頂上を極めるまで、本当にあと少しだということは、よくわかっていた。
わかっていたけれども、頑張れなかった。
というよりも、頂上までたどり着くために、必死の努力をする気が起きなかった。
頂上がはっきり見えていたので、そこまで登らなくても満足してしまったのである。
その山の全貌もわかったことだし、その山の頂上を極めるために払う努力を、他の山に登ることに注ぎたくなったのである。
頂上まで登った証明書はもらえないが、7合目まで登った証明書はもらえる。
その山に「登った」ことはそれでわかるのだがら、それでいい。
その山のスペシャリストになるつもりは、もとよりないのだから。
実は、すでに別の山に登り始めている。
前の山ほど大きくはないが、似たような大きさの山で、今度は頂上まで登れそうだ。
順調に登っていれば、来年の春には頂上についているはずだったが、若干回り道をしたので、もう少しかかりそうだ。
でも、もう少しの間は、時間をかけてもよいので、あせることはない。
若者の多くが、就職前に登る山は、ハイキング気分で登った。
ついでに、その延長で、その山に連なる、もう少し高い山に登った。
別のもっと高い山に挑戦してみたくなり、登り始めたところで、就職が決まった。
山登りをつづけるお金がなかったので、とりあえず就職し、お金をためたところで、再度、仕事をしながらの登山を再開した。
若い時に登った山は、就職に役立つと信じて登った山だったが、今9合目まで登った山は違う。
純粋に、「どんな山だろう」という興味で登り始めた山だ。
頂上を極めたところで、私のこれからの生活が変わるわけではない山だ。
それでも、その山を登る過程で、様々なことを得ることができたので、山を登ったこと、今その山を下りることに一片の後悔もない。
ところで。
私には登山の趣味はないので、ここで言っている「山」はもちろん比喩だ。
何のことを言っているかは、ご想像におまかせする。
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